人は意味を感じないことをしたがらないのに、意味が分かっていない生きるという行動をするのか。
何のために宇宙が誕生し、惑星が存在し生命が生まれたのかも分からない。
生命という概念も間違っているのかもしれない。
観点を変えてみると、生きるというルールを守っいるようにもとれる。
我々にとって考えうる最も大きなルール「生きる」ということ。
その「生きる」というルールの中に細分化されたルールがあり、そのルールに従って存在する。
善悪の概念ですら、「生きる」というルールを守るための一つの下層要因である。
「そんなことを考えてもしかたがない。」
現実世界を生きればいい。
なんとも虚しく聞こえる。
考えても答えがないものを考えるだけ無駄かもしれないが、考えても答えがないものの中で生きているということにおいて、何故皆割り切ることができるのだろうか。
答えが分からないものの中で答えなど出るはずもないのに。
しかし今できるだけ思考をフラットにしたとしたら、こんなことを考えていることも全く意味のないことかもしれない。
答えを追い求めようとすること自体が間違っているのかも。
生きていることが意味を持たず、その上での行動も意味を持たず、それらについて答えを出すことも意味を持たないのであれば、元から何も存在しない虚無であるのだろう。
しかし今の自分には、この概念に従う勇気はない。
生きるというルールに従おうと思う。
未知に向かう勇気のなさこそが、生きるということであると、現時点では信じよう。
高宮 透