はるかに大きなものの中では、例えば地球や宇宙は泡のようなもので、そこでは生まれて一瞬で割れて消えるとするなら、その大きな枠組みの中では、地球46億年の年齢も、1秒程度ということになる。
となると、人間の80年の寿命であれ、昆虫のように1年の寿命であれ、
わずか0.00000015秒の差であり、ほぼ0に等しい。
この考えに至るのは、宇宙は無から生まれたという概念による。
無という証明できないものを仮定的において考えざるをえない概念こそ、無というものを証明できうるものがあるという証明であると考える。
無を証明できるものの時間尺度が宇宙年齢より短いということはありえない。
それは宇宙年齢よりもはるかに大きな枠組みで、これを観察できる存在であるからである。
大きな枠組みの存在にとって、一瞬の出来事であるのか、ある程度の出来事であるのか、それともほんの少し短いのか、それは知るよしもないが、我々の知りうる存在を全て掌握できる時間尺度を持っていることは確実だと考える。
もしくは、我々と同じ時間尺度を持っていて、宇宙年齢よりも前に存在し、これより永く存在するものなら、無という概念を証明できるということになる。
この場合はその存在よりも短い寿命となるので、冒頭に書いた人間と昆虫の寿命の違いというものに置き換えることができるようになる。
いずれにしても存在が存在を証明するということを繰り返していけば、時間尺度は徐々に短くなり、限りなく0に近づく。
存在を証明し続けることが、無というものに近づくのであるなら、存在=無ということが証明される。
しかし、無に限りなく近づくが、無にならないとすれば、すべては限りなく一定ということが導かれる。
高宮 透