時間

はるかに大きなものの中では、例えば地球や宇宙は泡のようなもので、そこでは生まれて一瞬で割れて消えるとするなら、その大きな枠組みの中では、地球46億年の年齢も、1秒程度ということになる。

 

となると、人間の80年の寿命であれ、昆虫のように1年の寿命であれ、
わずか0.00000015秒の差であり、ほぼ0に等しい。

 

この考えに至るのは、宇宙は無から生まれたという概念による。

 

無という証明できないものを仮定的において考えざるをえない概念こそ、無というものを証明できうるものがあるという証明であると考える。

 

無を証明できるものの時間尺度が宇宙年齢より短いということはありえない。

 

それは宇宙年齢よりもはるかに大きな枠組みで、これを観察できる存在であるからである。

 

大きな枠組みの存在にとって、一瞬の出来事であるのか、ある程度の出来事であるのか、それともほんの少し短いのか、それは知るよしもないが、我々の知りうる存在を全て掌握できる時間尺度を持っていることは確実だと考える。

 

もしくは、我々と同じ時間尺度を持っていて、宇宙年齢よりも前に存在し、これより永く存在するものなら、無という概念を証明できるということになる。
この場合はその存在よりも短い寿命となるので、冒頭に書いた人間と昆虫の寿命の違いというものに置き換えることができるようになる。

 

いずれにしても存在が存在を証明するということを繰り返していけば、時間尺度は徐々に短くなり、限りなく0に近づく。

 

存在を証明し続けることが、無というものに近づくのであるなら、存在=無ということが証明される。

 

しかし、無に限りなく近づくが、無にならないとすれば、すべては限りなく一定ということが導かれる。

 

高宮 透

 

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疑問(意味)

人は意味を感じないことをしたがらないのに、意味が分かっていない生きるという行動をするのか。

 

何のために宇宙が誕生し、惑星が存在し生命が生まれたのかも分からない。

 

生命という概念も間違っているのかもしれない。

 

観点を変えてみると、生きるというルールを守っいるようにもとれる。

 

我々にとって考えうる最も大きなルール「生きる」ということ。

 

その「生きる」というルールの中に細分化されたルールがあり、そのルールに従って存在する。

 

善悪の概念ですら、「生きる」というルールを守るための一つの下層要因である。

 

「そんなことを考えてもしかたがない。」

 

現実世界を生きればいい。

 

なんとも虚しく聞こえる。

 

考えても答えがないものを考えるだけ無駄かもしれないが、考えても答えがないものの中で生きているということにおいて、何故皆割り切ることができるのだろうか。

 

答えが分からないものの中で答えなど出るはずもないのに。

 

しかし今できるだけ思考をフラットにしたとしたら、こんなことを考えていることも全く意味のないことかもしれない。

 

答えを追い求めようとすること自体が間違っているのかも。

 

生きていることが意味を持たず、その上での行動も意味を持たず、それらについて答えを出すことも意味を持たないのであれば、元から何も存在しない虚無であるのだろう。

 

しかし今の自分には、この概念に従う勇気はない。

 

生きるというルールに従おうと思う。

 

未知に向かう勇気のなさこそが、生きるということであると、現時点では信じよう。

 

高宮 透

 

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実現性について

 

想像しうるものは全て実現する。

 

想像しえないものは実現しない。

 

想像しえないのに実現することは、他の枠組により想像されたものである。

 

想像しうるのに実現しないものも又、他の枠組により想像しえないものである。

 

枠組という概念を広げることが、想像しうる幅を、実現できる幅を広げることとなる。

 

高宮 透

 

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美しいということ

 

美しいということは、最下層の選択肢となりうるが、最上層には位置しえない無双のものである。

 

もし最上層の選択肢であるならば、その他の比較対象は無意味である。

 

もっとも曖昧であり、感情に左右され、共通の項を有さず、絶対的なものを説明できない。

 

反して言うなら、理解し得ないものが絶対美であり、普遍的なものである。

 

これにもっとも近づいたものが、比較可能な美しさである。

 

それに近づくことが美しさの根本である。

 

高宮 透

 

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